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| 僕が経験した感情を世界と共有したいという思いにかられて、この脚本に取りかかった。 |
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| 苛烈な内戦下にあった1980年代の中南米エルサルバドル。12歳になったら徴兵されてしまうその国に生まれ育ち、14歳でアメリカに亡命したオスカー・トレスの自伝的な脚本をもとに、ハリウッドで活躍するメキシコ人監督ルイス・マンドーキが映画化。死と隣り合わせの日々を送りながらも、精一杯子供らしく生きる少年の姿を描いて世界に衝撃を与えた『イノセント・ボイス 〜12歳の戦場〜』のPRで、マンドーキ監督とトレスが揃って来日。厚い信頼関係で結ばれた二人が、この映画への深い思いを語ってくれた。
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[ルイス・マンドーキ監督]
1954年、メキシコシティ生まれ。1976年、カンヌ国際映画祭の短編部門賞を受賞した『Silent Music』で国際的に認知される。長編第一作の『Motel』(84)や、主演のノルマ・アレアンドロをゴールデン・グローブ賞ノミネートへと導いた『ギャビー、愛はすべてを越えて』(87)でも高く評価される。この後、初のハリウッド作品として『ぼくの美しい人だから』(94)を監督。その他、『男が女を愛する時』(90)、『メッセージ・イン・ア・ボトル』(99)、『コール』(02)などがある。現在は、麻薬取引を暴露する物語『Amapola』を準備中。
[オスカー・トレス]
1972年、エルサルバドルの首都郊外クスカタンシンゴに生まれ、残酷な内戦の砲火に巻き込まれる。1986年、戦火の中から一人14歳で米国へ渡り、後に母親と2人の兄妹と再会を果たす。カリフォルニア大学バークレー校でラテンアメリカ研究を専攻したが中退、俳優になるためロサンゼルスに移り住む。舞台のほか、『ER』や『First Monday』『Any Day Now』などのテレビドラマに出演、この期間に本作の脚本を書き始めた。02年、CM撮影中にその演出家であるルイス・マンドーキにこの企画を売り込み、今に至る。 |
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『イノセント・ボイス 〜12歳の戦場〜』
配給:アルバトロス・フィルム
1月21日よりシネスイッチ銀座にて公開
オフィシャルサイト:http://www.innocent-voice.com/ |
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| 監督、今回は16年ぶりに祖国メキシコで映画を撮り、次回作もそのようですが、なぜハリウッドを離れようと思ったのですか? |
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| ルイス・マンドーキ監督:まず私は、ハリウッドに行こうとも思っていなかったし、去ろうとも思わなかった。ハリウッドに行くのが夢ではなく、映画を作ることが私の夢だったからね。当時のメキシコでは、質の高い映画を撮るための資金を集めることが困難だっただけだ。16年もハリウッドで仕事をしていたが、スペイン語で映画を撮りたいという望みはずっと抱いていたんだ。コマーシャルがきっかけでオスカーと出会い、脚本を渡され、この映画が実現したわけだ。 |
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| トレスさん、エルサルバドルからアメリカに渡ったとき、どんな仕事をしたいと思っていましたか? いつから映画の道に進むことを考えるようになったのですか?
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| オスカー・トレス:アメリカに渡ったときには、自分がどんな仕事をしたいかなんて全く考えていなかった。映画はそれまで、2本しか観たことがなかったしね。
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| ルイス・マンドーキ監督:2本とも私の作品だよね(笑)?
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| オスカー・トレス:(笑)その当時考えていたのは、とにかく“ママの所に帰りたい”ということだけだったよ。もちろん、それはできなかったけど。それで、学校に行って英語を勉強した。そして1989年に、ある映画に出合ったんだ。それは『ニュー・シネマ・パラダイス』だった。それ以前も映画は好きだったけど、この映画が僕の心のスウィッチを押したんだよ。そのとき、どれだけ映画が好きなのか気がついた。周りの人々との最もパワフルなコミュニケーション手段が、僕にとっては映画だということがわかったんだ。実は先ほど、別のインタビューでこう聞かれた。「何かを変えたかったのなら、映画人ではなく、政治家になる手もあったのでは?」と。僕の答えはこうだ、「政治家が僕の人生を変えたことは未だかつてない。でも、映画は変えた」。
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| トレスさん、この映画はご自身の人生にインスパイアされた自伝的作品ということですが、実際に完成した映画はどの程度、リアルだったでしょうか。 |
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| オスカー・トレス:まず、真実の物語を語ろうとするとき、一つのチャレンジとなるのが、エピソードを連ねていくだけになりがちだということだ。実際に、僕たちが二人でこの脚本を書いているときにも難しかったのは、まさにその点だった。人生における様々な出来事が一つの道筋を辿り、全てがつながっていくということに思いが至ったとき初めて、10〜12歳までの僕の人生をきちんと語れるという自信が持てるようになったんだ。完成した作品を観たときに感じたのは、まるで監督は僕の内面にあるものを全て引き出し、僕の目が映写機になったかのように思い出が鮮やかに蘇っている、ということだった。実にリアルな感覚だったね。あえて一つを挙げるなら、徴兵されないために屋根の上に隠れているシーンが、僕にとっては最もリアルだった。子供だった僕にとってはとても美しい思い出で、鮮やかに心に残っている光景だったから。川でのシーンも大きな痛みと共に思い出させられるという意味でリアルだったけど、あえて一つ挙げるなら、やっぱりあの屋根の上のシーンなんだ。 |
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| トレスさん、脚本を書く上で留意したことはありますか? |
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| オスカー・トレス:脚本を書き出したとき僕は、ある曲によってもたらされた感情を伝えたいと思ったんだ。それは禁止されていたが、叔父が歌ってくれた曲「ダンボールの家」だった。そのとき僕は8歳だったけれど、“僕は一人じゃないんだ。同じような経験をしている人が他にもたくさんいるんだ”という思いで心がいっぱいになりながら、その曲を聞いたよ。そんなわけで、僕が経験した感情を世界と共有したいという思いにかられて、この脚本に取りかかったんだ。でも、そこで自分の中に一つの壁が生じた。深く掘り下げていくと、あまりに辛く痛みを伴って思い出される経験だったからね。だから、思い出すのがあまりに辛い場面に脚本がさしかかると、そこから逃れるために、あの曲を巡る物語のほうにシフトしていったりした。その後、監督のルイスを含め、この脚本を何人かの人に読んでもらったんだけど、そのときに言われたのは、「もっとこの少年について知りたい」ということだった。ルイスも「ぜひ、映画にしたい。でもこの脚本にはあちこちに穴がある。その抜け落ちている部分についてもっと知りたい」と言われ、書き直しに入ったんだ。それは今まで味わったことのないような痛みを伴う作業だったが、その結果生まれたのが、僕の心の中を全てさらけ出した脚本だった。僕を辛い目に遭わせたということで、ルイスも痛みを感じていたと思うよ。
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| ルイス・マンドーキ監督:私がなぜこの脚本に惹かれたかというと、客観的ではなく非常に主観的な視点で書かれていたからだ。子供の目を通して、子供がどのように戦争を見て体験したかを語っていることに非常に魅力を感じたんだ。例えば、銃弾が飛び交っている中でベッドの下に隠れているところとか、食事をしているときにお姉さんがおならをし続けるシーンなど、描写が実にリアルだね。ところで、“おなら”って日本語でなんて言うの(笑)? オスカーの主観的な話をいかに客観的に伝えるかというのが、私にとっては大きなチャレンジだった。例えば、私は彼にこういう質問をした。「なぜ、あの曲が君にそれほどのインパクトを与えたんだ?」と。すると彼は、「戦争のただ中で生きている自分はひとりぼっちだと孤独感を覚えていたけど、あの曲を初めて聞いたとき、僕はひとりじゃないんだ。共にこの状況を生きている人々がいるんだと感じられたから」と答えてくれた。あのシーンは、叔父さんと少年のアップから始まっている。少年の中に、オスカーが語ってくれたような感情が湧き上がってくるにつれて、カメラは俯瞰になり、屋根を突き抜けて空の上から写すようにした。つまり、その瞬間に初めて、少年の内面世界と外界との間につながりが生まれたことを象徴しているんだ。
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| 焼き討ちに遭っているときにも洗濯物がはためいていたり、屋根の上で隠れているときにはオリオン座が見えたりなど、悲惨なシーンにのどかな日常の風景がふいに混じってくるのがとても怖かったですが、そうしたコントラストを意識されていたのですか? |
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| オスカー・トレス:全ての光景は、あくまで子供だった僕の記憶を通しているので、今おっしゃったコントラストは絵的にアーティスティックでいいと考えて取り入れたわけではないんだ。逆にルイスがそのコントラストを見つけることができた。僕にとってはあまりに日常的で、自分の経験に基づいていることだったので、かえって気づかなかったんだ。エルサルバドルのような美しい所で、こんな醜いことが起きているという事実、それは“滑稽なコントラスト”とでも言えるようなものだ。外部から、特にルイスのようなアーティスティックな監督の目をもってしてそのコントラストに気づけたのだと思う。徴兵を逃れるために屋根に隠れているシーンはとてもマジカルに描かれているけど、僕にとってはまさしくリアルな体験だった。また、叔父さんが酔っぱらって死んだふりをしてお金を集めるコミカルなシーンもあるけど、戦争の悲惨さの中でもあんなおかしいことが起きていたというコントラストが見られるね。
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| 内戦は1992年に終結したということですが、国民は今もなお、その後遺症をひきずっているのが現状なのでしょうか? |
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| オスカー・トレス:結果としては、ギャングが横行するようになった。12年もの間、暴力にさらされ、廃墟と化した中で仕事もなく教育も与えられず、貧困だけが残っている。子供たちの中には戦争で戦った者もいれば、戦火におびえながら育ってきた者もいるが、いずれにせよ、今も心の中に非常に暴力的なものを抱えて生きている。平和条約が締結したからといって、それで終わりというわけではないんだよ。しかし政府は、「戦争が終わったのだから、ありがたく思え。あとは好きにしろ」と国民を放置している。これはまさしく政治の怠慢だ。戦争の真の結果というのは、20年後にならないとわからないと僕は思っている。イラクでも戦争は終わったが、あの戦争はイラクとアメリカのみならず、20年後の世界に何をもたらすのだろう。
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| 本作はエルサルバドルでも公開されたと思いますが、反応はいかがでしたか? |
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| オスカー・トレス:何よりも感謝の気持ちを示された。「私たちの物語をきちんと伝えてくれた」と言われたよ。非常に興味深い現象なんだが、戦争が終わった後は誰も戦争のことを口にしなくなっていたんだ。僕が18年間、沈黙を守っていたのと同じようにね。人々が自ら口をつぐんでいたということもあるが政府もタブー視していた。こんなに不健康なことはないね。トラウマに蓋をするのは、緩やかな死と同じことだ。 |
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| ルイス・マンドーキ監督:エルサルバドルでは本当に反響が大きかった。戦争を経験した人だけでなく、誰にでも秘密にしているような記憶はあるはずで、そうしたことが率直に語られている映画を観ると、「自分は一人ではない」と感じて、突然そこに共感が生まれたりするものだね。オスカーは実に正直に自分の物語を語った。だからこそ、これはエルサルバドルの人々の物語そのものなんだ。
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| 監督は南米人ですが、エルサルバドルという国をどのようにご覧になっていましたか? 今回の物語のどんなところに監督は最も惹かれたのでしょうか。
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ルイス・マンドーキ監督:エルサルバドルやニカラグアといった国の戦争には常に注目していた。でも、今回のストーリーに関しては、その普遍性にこそ惹かれたんだ。優れた戦争映画は常に、私にとっては魅力的だった。実は大きな影響を受けた戦争映画が2本ある。小林正樹監督の『人間の條件』とジッロ・ポンテコルヴォ監督の『アルジェの戦い』だ。2本ともとても優れた映画だ。というのは、登場人物に共感できるからね。戦争というのは、人間の中にある最善の部分と最悪の部分を引き出すものだと思う。この物語で私が何よりも心惹かれたのは、子供たちそのものだった。あの時代、子供たちが経験したのは生き残るための戦いだけでなく、子供のままでいるための戦いでもあったんだ。 この映画では、カメラは子供の目そのものだとも言える。お母さんが家事をしていて、子供たちはベッドの中でけんかしながらも眠りにつこうとしている最初のほうのシーンでは、カメラは緩やかな動きをしているが、爆弾が炸裂するや、その混沌を表現するために、激しく揺れるカメラワークに切り替わる。すなわち、カメラを通じて、子供が経験していることを観客も経験できるわけだ。また、前半はワイドなアングルで世界の広さをとらえているが、少年が政府軍に入るかゲリラの側につくかの選択を迫られる12歳に近づくにつれ、カメラワークは世界が狭くなっていく印象を与えている。やがて、彼は選択をする。政府軍でもゲリラでもない第三の選択、つまり、脱出を決心するんだ。ワイドショットで終わるのは、そんな彼の自由と希望を象徴しているんだよ。そこには、オスカーが書き記した最も強いメッセージがある。全く解決策が見出せないような困難な時期は、誰もが経験することだろう。あくせく働きながら日々の生活を送るのがやっとだという状況に置かれている場合もあるだろう。でも、そんななかで生きている人は本当に愛を忘れてしまったのか? 10代の頃のように情熱的に人生を生きることは無理なのだろうか? そうじゃない。オスカーがあれほどの恐怖の時代を生き延び、そこから脱出し、俳優になる道を見つけたというのは、“自分の人生は自分が選ぶ”ということを世界中の人々に知らしめているとも言えると思う。夢は実現できるんだ、ということをね。だからこそ私は、このストーリーに共感したし、心打たれたんだよ。 |
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1980年代といえば、日本ではバブルの狂騒に浮かれていた時代。そんな頃、地球の反対側では恐怖の内戦が人々の日常を脅かし、12歳の少年たちが銃をもたされ、戦いに駆り出されていたことをこの映画で知り、愕然とした思いに打たれる人も多いのではないだろうか。オスカー・トレスも「政治家が僕の人生を変えたことは未だかつてない。でも、映画は変えた」と言うように、映画だからこそリアルに伝えられる真実がここにある。あれほどの重い過去を抱える人物であるにもかかわらず、映画に登場するチャバ少年が成長したかのように、オスカーは美しい無垢な瞳でインタビューアーの一人ひとりを見つめ、「今日はどうもありがとうございます」と丁寧に握手を求めてきたのにもしんみりさせられた。そんな彼を、陽気なマンドーキ監督は時々ちゃかしながらも、父親のような温かい眼差しで見つめていたのがまた、なんとも素敵だった。
(取材・文:ウララ) |
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