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| ボスニア、セルビア、クロアチアなど国籍の異なるメンバーで映画を作ることは、それ自体が一種のカタルシスになっていきました
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| ボスニア紛争から12年。ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエボで、娘のサラを懸命に育てているシングルマザーのエスマ。しかし、かつて彼女は、お腹に宿った生命を恐れていた―。
紛争の深い傷痕が残るボスニアで、平和を取り戻そうと懸命に生きる人々の日常と母子の愛を描き、2006年ベルリン映画祭金熊賞をはじめ数々の映画祭で賞を獲得した『サラエボの花』。自身も10代で紛争を体験しているヤスミラ・ジュバニッチ監督が来日し、本作に込めた想いをじっくりと語ってくれた。
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[ヤスミラ・ジュバニッチ監督] 1974年にサラエボで生まれる。ドラマティック・アート・アカデミー舞台・映画監督科を卒業。本作が初長篇作品。代表作として、短篇『Birthday』(オムニバス『Lost&Found』の1作)―クロアチアとボスニア、それぞれの国の少女がたどる二つの運命を描いたもの―や、2000年に手がけたドキュメンタリー『RedRubber Boots』―ボスニア人の母親が行方不明の子供たちを捜すというもの―や、ドキュメンタリー『Images From the Corner』―若い女性が戦争で大怪我を負い、その自分の姿を海外のカメラマンが撮影した写真を苦しみながらも直視したという感動の話―などがある。映画の世界に入る前は、人形師としてバーモントを基盤とするブレッド&パペット劇場で働き、ピエロとして活動していた経験などもなる。 |
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『サラエボの花』
配給:アルバトロス・フィルム、ツイン
12月1日(土)、岩波ホールほか全国順次ロードショー
オフィシャルサイト |
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| 本作は、どのような境遇にあっても子供のために乗り越えようとする母親の愛テーマの一つだと思いますが、監督ご自身が母親になったからこそ作ることのできた映画だと思われますか?
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| まさにその通りです。この映画には、女性である私自身の体験とこれまで私が見てきた女性たちが反映されています。特に戦時下の女性たちは、困難な状況にあってもそれを切り抜ける能力を持っているんです。例えば、食べ物がなくても毎日違う食事を作ったり。女性は困難や破壊的な状況をクリエイティブなものに変える力を自然に持っていると思います。 |
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| エスマ役とサラ役のキャスティングはどのような点に注意されたのですか。
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エスマ役にはボスニア中の女優を探しましたが、ぴったりな人がいなくて、クロアチアやセルビアにまで探しに行きました。そんなとき、私たちの地方ではすでに大スターであるミリャナ・カラノヴィッチがボスニアで演劇の公演を行ったのです。舞台を観た私は、エスマ役には彼女しかいないと直感でわかりました。エスマ役を演じる女優には、感情を豊かに表現できる人、特に、全く相反する感情を同時に演じることのできる人を求めていたのですが、ミリャナはまさに適役でした。
エスマの娘サラ役については、2000人の子供たちをオーディションし、最終的に30人にまで絞込んで、1週間のワークショップを行った中で選びました。ルナ(・ミヨヴィッチ)は最初から第一候補でした。彼女は映画撮影をとても楽しんでくれて、自分のシーンがない日もセットを訪れるくらいでした。本当に知的で勇敢な女の子です。物語をきちんと理解していましたし、好奇心旺盛で、何度も質問を投げかけられました。
一つエピソードがあって、私は子供たちのモチベーションを確かめるために、オーディションで必ず「男の子とキスできる?」「髪の毛を剃るシーンがあるけど平気?」「服を脱ぐシーンは大丈夫?」と聞いていたのですが、サラ役がルナに決まって彼女に脚本を渡すと、本当に髪の毛を剃るシーンがあるのでショックで泣いてしまったんです。でも、あとで謝りの手紙を書いてきてくれて、そこには「自分勝手な気持ちで泣いてしまって本当にごめんなさい。監督がサラというキャラクターを書いて、彼女を体現できる人間として大勢の候補者の中から私を選んでくれたのに、髪の毛のことなんか気にすべきじゃありませんでした。自分が体現しようとする子供たちに申し訳ない気持ちで一杯です」と書いてありました。それを読んで私はびっくりしてしまって(笑)。まだ13歳だというのに、そこまで理解できる子なんですよ。 |
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| 監督ご自身が10代の頃にボスニア紛争を体験されているということで、今回映画を作るにあたって精神的に辛かったのでは?
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一番大変だったのは脚本を書く過程でした。本作の脚本の第一稿は怒りに満ちた内容になっています。というのも、私はエスマと同様の被害に遭った女性の証言をとにかく沢山読んでいたので、怒りを抑えて書くことなどできなかったのです。彼女たちの証言は、読むこと自体がとても辛いことです。脚本を書くにあたって、自分でも気づかなかった自分の内面を幾層も掘り下げなくてはいけなかったのは大変でした。
でも、今回は役者もスタッフも、ボスニア、セルビア、クロアチアなど様々な国から集まりましたが、それぞれが違う形で戦争を体験をしているんですね。そういった国籍の異なるメンバーでこの映画を作ることは、それ自体が、ある意味で癒しのカタルシスになっていったんです。政治家たちが何年も言い続けてきたことが事実ではないと皆で証明するという、この映画はある意味で、参加した全員の想いのはけ口のようになっていきました。そのような映画が海外の方にも観ていただけるというのは非常に嬉しいことです。 |
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| 実際にエスマのような経緯で出産し、生まれた子供を育てている女性には取材をされたのですか?
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脚本を書くにあたってのリサーチでは、女性に対する性的暴行について書かれているものをとにかく読み漁りました。ボスニアの事件についてだけでなく、レイプについての心理学的・哲学的・社会的な本を読みました。
実際に収容所で何ヵ月にもわたって性的暴行を受け続けた女性にも話を聞き、そういった経緯によって生まれた娘を育てている女性にも会いましたが、彼女たちの多くは、子供にも何があったか話すのを拒絶していることが多いんです。彼女たちの一人と知り合いになったので本作の脚本にアドバイザーとして参加してもらえないかと頼んでみたのですが、「それはできないけれど、家で一緒にコーヒーを飲むくらいなら」と言われました。彼女は本作のエスマとはまるで違うタイプの女性なのですが、彼女と娘の関係を実際に見ることはとても役立ちました。被害者たちの中には子供を手放した人や、今でも何が起きたかについて固く口を閉ざしている人も大勢いるんですよ。 |
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| 戦時中にエスマのような目に遭った女性たちは、現在ボスニアでどのようなケアを受けているのでしょうか。
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ボスニアの社会は、ああいう被害を受けた女性たちに対して適切な対処をしてきませんでした。彼女たちは、一般市民の戦争被害者として社会から認識すらされてこなかったというのが本当のところです。そして、そのことが彼女たちにとってさらなる傷痕となっています。
これまで彼女たちに支援金を出したのは国際的な機関だけで、ボスニア政府がそういったサポートを一切していないのは、恥ずべきことだと思います。ボスニアで戦争被害者として認められているのは兵士や、兵士の子供を亡くした母親など、男性政治家が選挙のために一緒に写真を撮るのに見栄えのいい人ばかりなのです。
ただ、この映画が公開されてからは、いくつかの女性支援機関が中心となって観客の署名を集め、議会に提出し、その結果、ようやく彼女たちが戦争の被害者であることが認められました。これによって、彼女たちも、わずかですが尊厳を取り戻すことができたと思います。
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| サラの性格についてはどのように決めていったのですか? |
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映画で描かれているような女性たちに対する事件は1992年頃に起きたのですが、私が脚本の最終稿を書いていた当時、そのときに生まれた子供たちは13歳になっていました。この13歳という年齢はサラのキャラクターを創る上で助けになりました。というのも、13歳というのは誰もが自分のアイデンティティに疑問を持ちはじめる時期ですし、社会的なあらゆる基準に反抗したりする時期です。同時に、将来を不安がったり、社会に居場所がないと恐怖心を抱く時期でもありますから。
サラをあのような激しい性格のキャラクターにしたのは、観客が彼女を好きになっても、決してかわいそうだと思って欲しくなかったからです。彼女に何かよくないことが起きているらしいということはわかっても、決して哀れんで欲しくはなかったんですね。彼女は被害者としてではなく、これからの人生を歩んでいくからです。
サラはボスニアという国の歴史の両面を知っている世代を象徴しているキャラクターです。歴史の良い面だけでなく悪い面もです。社会主義国家で育った私は社会主義の良い面だけを教えられて育ちましたが、ある日突然、悪い面に触れたときに、行き場を失った思いを味わいました。私自身、事実を知った今では、社会主義の素晴らしい面と、間違っていた面を語ることができます。本作のラストを限定せず、オープンにしたままにしたのは、これから新しい世代の監督たちにサラの物語を描いていって欲しいと思ったからなんです。 |
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17歳のときにボスニア戦争を体験したジュバニッチ監督は、エスマと同様の被害を受けた女性たちに関する記事や文献を読み漁っていたそうですが、自身が出産を経験して母となったときに、本作を撮ろうと決めたそうです。戦時下で起きた忌まわしい記憶を抱えながらも、一歩踏み出そうとする母と娘の愛の物語。ぜひ劇場に足を運んで観てください。
(取材・文・写真:山内真理子)
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